わたしの西成


元気になろ



shingo 西成




わたしが釜ヶ崎で再生されている頃

釜ヶ崎の炊き出しで、一緒に丼洗いました



釜ヶ崎、わたしが生まれなおしをした街


11年



ライブドアの堀江社長が逮捕され

高校野球でハンカチ王子がフィーバー

総理はまだ小泉さん

流行語はイナバウアー



これ、11年前のこと

なんかまだまだみんな覚えていますよね

あんまり世の中変わらんし。




11年

終戦から11年して私は産まれました。

戦後たった11年



しかし小さい頃を思い出しても

どこにも戦後はないんだよなぁ



みんな忘れたかったのか?

戦争というより、敗戦を



小学校に行くころには戦後20年か、、、


やはり戦後は無くて

万博が来たり、電話が普及したり。

経済が爆発的に成長し続けた。みな必死だったのか



高校でようやく原子爆弾のことを勉強
広島、長崎が自分の中でクローズアップされる


そして沖縄返還

わたしが高2の時だ



外国から日本に還ってきた

外国に住んでいる知らない親戚を迎えるように

迎えたように思う。



大阪には沖縄県生まれの人がたくさん住んでいて

特に隣の区の大正区には沖縄のお店もたくさんある



しかし、友人が出来るまで私にとって沖縄は
太陽、海、美味しいもの、つまり観光地だった



自分が貧乏になり、何もかも失い、病気になり
世を捨てようとして
ホームレスのおじさんたちに救われた頃


沖縄の友人のことを
最初は意固地な、、とも思った



今思えば誇り高かかったんだなあ

何故、選挙に行かないんだ!?



それどころじゃないよ、というと
それどころじゃないから行くんだよ、と。

何やってんのよ、と。



それから暫くホームレスにならざるを得なかった
人達の中で手厚く精神を保護されているうちに

やっと、政治というものに意識を向けなければ
ならないんだと思った。

何故ホームレスになったのかを問うて思った。



戦後70年

わたしが政治に関心を持つまで約50年



知らないままでも生きて行けるだろうが

知らないままでは

あなたは臭いものに蓋をしていることすら

気づかないかもしれない。



足元に転がっている理不尽や抑圧や差別や欲望や

あざとい罠や落し穴や隠されたはかりごとに

無関心よりは何かを感じた方がいい。



戦後70年か。

70年で忘れてはいけない。










沖縄県民の友来たりて大討論会となる


沖縄から友が来ている
辺野古に近い村の昔の出身、今は那覇
今、故郷は内地の人間に割られていると。



わたし自身は基地も安保も不要だと思っている。
個別的自衛権も。日本は戦争はしない。

他国がミサイル落としても反撃はしない
私たちは武器は持たない
武器は防衛でも使わない
私たち日本人は武装権をもたない国民だ

本当は個別的自衛権ももっと議論されていいと
思っている。

撃たれたら撃ち返すような事では
アメリカのピストル問題と同じだ
撃たれたら仲間が撃ち返すのも
自分が撃って相手を殺すのも同じだ
いやいや、人にやらせる方がたちが悪い


話を戻す。友が言う。
以下、友の意見

内地の人がたくさん来て反対運動をしているが
働きもせず、反対運動だけをしている
ずっと宿泊して、、あの費用は誰からでてるんだろうね~、腹立つよ~

沖縄県民のみんなの代表意見みたいに言うなと彼女はいう。


友人は基地が早く決まって欲しいという。

理由のひとつは経済
働く場所がないから基地があれば、基地に働かなくても地元には仕事が生まれる

もうひとつは防衛

自分たちは未だに前線にあるんだよー
基地が近いならまだ安全さ…
いざどこかから攻められたら内地は沖縄を
捨ててしまうよ

あの反対運動してる人らもきっと内地に一番に帰るよ


そしてまた違う友が言う。

東北の震災で、原発誘致した地元の話

また沖縄の友が言う。

沖縄も基地誘致して戦争になれば故郷がなくなるよ、と言われたこともあるが
それより前に若いものは故郷を出てしまうよ
働くとこがないよ、と

そして友が言う

私らが故郷をアメリカに奪われた時、私らの親を
本土はどうした? 守ってくれたか?!

あんたらは、捨てて帰ってしまったじゃないか

私らだって、戦争したくない

と、いうか、私らは、未だに戦後を迎えてないよ

まだ前線なんだよ



あんたらは、韓国から謝れ謝れ言われてるけど

先に沖縄の人間に謝れ!

捨てて自分らを守ったことを謝れ



もう、最後は激論になり



大討論会となった


基地は無用、戦争はしない、個別的自衛権も使わない。
攻めてこられたら撃たれて死ぬことを選び、
戦場に大事な人を送らない、私

基地は欲しい、集団的自衛権は必須
攻めて来たらアメリカと共に
自分の故郷と愛する家族を守るために戦う友一人

基地は要らない、集団的自衛権も要らないが
個別的自衛権は必要という一人は
戦争になったら家族は戦場には送りたくない
自衛隊に守ってもらうという


他は考え過ぎてわからなくなったらしい
北朝鮮はもはや正常な国家ではない、というのは全員一致


何時間くらい話をしていたんだろ。
50歳~62歳の集まり

こんな話が出来たこともうれしい。

なかなか友人同士では出来ないから。






わずか6人でも大切な議論が出来る

わたしみたいな考え方は少数派だろう

しかし沖縄の友は本土では少数派だと思われているが彼女の地元ではけして少数派ではないという



さて、大討論会の後はひたすら下世話な話に話題が移り、またやろうねー、となった。

会社の隣の駅近くの沖縄料理を食べながら。



こうして憂国の議論が出来るのは日本の国がまだまともだからだ



共謀罪が、成立した。

共謀罪とは、こんな集まりでさえ、国会権力により介入、逮捕される可能性があるということ。

一般人は関係ないというが誰が一般人かは
権力が決めるんだよ、ね。



しかし、一般人でも憂国の激論は交わすよ
その中には現政権を倒そうとする議論だってある

そんなとき、居酒屋の主が手ぬぐい取って
警察手帳などだして、

いや、おめぇは今から公安の対象だ
共謀罪だって

言われる可能性がある世の中に
なってしまったんだ。

自民党、公明党、維新

覚えてろ、まだ間にあう。

次の選挙までによい候補を探さねばならないが。






私たちができること

この記事を読んでみて欲しい。最後まで。


北朝鮮から


平和とは

どこかからやってくるものか?

誰かに与えられるものなのか?



上の記事の中に出てくるエピソードを

一度、読んでみて欲しい。



リセット解釈 教育勅語



原文です。HPより。





リセット現代語訳

天皇が、シモジモの民に向けていいました。

※あの頃の天皇は象徴ではなく、実効支配者であり
神でした。
天皇の人柄云々の話はここでは言いません。
本筋から外れます。


ある日、神さまは下僕にいいました。


私が思うには
わが天皇家の先祖は日本を創った時から
天皇家を護るために道徳教育を重視してきた。

わが天皇家の家来であり持ち物であるお前達が
みな私に対して忠義であることは大事だ。

お前達の多くが
心を合わせて素晴らしい成果を挙げて
この国を発展させたのは、
代々のわが天皇家の統治の成果だ。

天皇家がお前達を統治する手段として
教育というものが果たしてきた役割は大きい


お前たちは、天皇家の家来として
昔から言ってるように


有事のない、普段は

家長制度に従い親孝行し
兄弟は助け合い
家の主人である夫と良妻賢母は仲睦まじく
友人を信頼し、言動を慎み、人情厚くして

お互い自分たちで助けあって暮らしなさい。

そしていざという時のために

学問に励み
仕事のスキルアップに励み
知識を蓄え
人格を磨き
日本の社会公共のために働き
常にわたし、つまり天皇や国家には従順でいなさい

私は政治も行うから、私が作る法律を守り


そしていざ、私が非常事態だと決めたら


お前たちは勇敢に国のため、
自ら喜んで、わたしの家、つまり天皇家のために戦いなさい。

知識や技術はこの時のために私はお前達に
学ばせているのだから。

天皇家に終生支えるのがお前たちの役割だ

私の家、天皇家は太古の昔からこうして
日本を統治してきた。

私が言う道徳教育とは
統治者である私に最大の忠誠を抱かせる政策である。

国のために自己犠牲を美しいと教えることは
統治者にとり頼もしい限りだ。

そうやって、古代からわたしの祖先は
美しい国、日本を統治してきた。

だから、改めて言うが、

これらをこれからも守りなさい。私も祖先のようにこれを護ろう。





あくまでも、わたしの現代語意訳ですが。

ま、統治する側として考えれば
教育というものは

やり方次第で

どんな社会、どんな人間でもある程度は作れる。
(ある程度だよ)

教育と名がつけばなんでも正しい訳ではない




例えば
少し前まで、女性には参政権がなかった。

あるとか、ないとか
与えるとか、与えられる、とか
そんなもん、もらうとか言うモノじゃないけど

ただただ、はなっから排除されていたんだよ。

社会では勘定に入ってなかったんだ。

家庭でも、
経済面の権利には数に入ってなかったんだよ



だって、そういう教育受けてきたから、ね。





これね↓ 今もう、紙の本がないみたいだな。


冬の蕾




To Be Continued





プロフィール

リセット

Author:リセット
2013年 7月からの新米乳がん患者。

2013.07 告知
2013.08 休職
2013.08 右乳房全摘
2013.09 抗がん剤治療(TC4回)
2013.12 フェマーラ開始
2014.02 職場復帰
2014.07 リンパ浮腫完治を目指しLVAを受ける。
東京大学医学部附属病院にて

それまでの諸々

2011年 椎間板ヘルニア手術から寝たきりに
筋筋膜性疼痛症候群で
加茂整形外科に4ヶ月入院。救われる

2000.07 異型狭心症で終身服薬の身の上に

1995.00 胆石で度々発作で腹腔鏡で胆嚢摘出


たくさんの方に支えられなんとか生きる道模索中

旦那大好き

料理は全く出来ません。掃除も上手くない。
洗濯が好きっ。

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