⑧筋筋膜性疼痛症候群 その時の身体と心

帰ろうと決めた時の状況と、帰るためにクリアしなければいけない条件

〈座る〉

石川初日→椅子から金属の棒が突き出ているように感じて痛くて5分しか座れない

この頃→硬いパイプ椅子なら20分くらい座れた
ソファは一切だめ

目標→
電車で片道三時間をクリアするためには
せめて30分座り続ける事

_____________

〈歩き〉
初日→杖をついて
直線で10メートル以上歩くと脚や腰が激痛

この頃→杖なしで20分なら歩けた
目標→休みながらでも60分

______________

〈曲がる、ターン〉

初日→カーブは曲がれない
この頃→1回くらいなら曲がれた
目標→人混みでも曲がれる

______________

〈しゃがむ〉

初日→全く無理
この頃→こわごわなら
目標→切符を落としても拾えるように

_____________

〈階段〉

初日→全くだめ
この頃→二段くらいなら
目標→ワンフロア分



これだけをクリアしたら電車で大阪まで
帰り、日常生活がなんとかやれる


そう考え、ここまで目標設定してみて
あれ? これはあと半月では無理だ、と思い

結局もうひと月後に退院と再設定

目標に向かって色々チャレンジしだした。



買い物に毎日歩いて行く
距離は意識して少しづつ増やす
病室の掃除をする
外出許可をもらい電車にのる練習をする
カラオケボックスに行って座る練習
なるべく横にならない
食事をなるべくゆっくり座ってする
(目標30分)


そして

痛くなれば加茂先生がなんとかしてくれる
大丈夫、大丈夫、と言い聞かせながら
日々チャレンジした



かたや心の方は

会社が怖かった


完全に会社というか社会と断絶した
ある意味浮世離れした入院生活を送っていたから
さて、現世に帰るとなると不安と焦燥とが激しく、懐かしさなど微塵もなかった

またあの世界に帰るのか

わたしを追い詰めた
モラハラ渦巻くブラックな職場に
復帰するのか

出来るのか?

もはや仕事漬けにはなれない身体になり
一人の生活に戻った時の虚しさに耐えられるのか

自分の居場所
自分への評価
自分の身を大切にするとは、、、なんだ?!

まだわからないことだらけだった

出来るのか
やっていけるのか

わたしは変われたのか
また元の木阿弥になるんじゃないか

やれること
やらないといけないこと
やらなくていいこと

区別はつくのか

「ノー、と言えるのか」


いくら考えても堂々巡りだった




加茂先生がまた本を貸してくれた
「あなたみたいな人のことがいっぱい書かれている」

”夏樹静子 心療内科をたずねて”


何度も読んで


「真面目」という茨
「後悔」という毒
「自虐」という麻薬
「孤独」という枷
「責任感」という自縄自縛

それらのものには
帰ってからゆっくり向き合おうと思った


そして加茂整形入院から丸々4か月

ヘルニアもどき入院から7か月


ついに退院の朝が来た







〈すくすく育つムスカリさん〉






⑦筋筋膜性疼痛症候群 石川暮らし

旦那が帰り

本格的な入院生活が始まった
会社にはとりあえず一ヶ月の休職願を提出


先生が
ゆっくりしなさい、遊びなさい、脅迫的に歩かなければと思わないでいい、と言って下さって

わたしはひたすら自分の癒やしと治療だけに専念した

朝と夕方、トリガーポイントブロックを受け、抗うつ剤と抗痙攣剤を飲み
やれる事、やりたい事だけしてやりたくないことはしない努力をした

努力してブレーキをかけなければ
わたしは働こうとするから

会社からたくさん電話が入ったが先生や看護師さんが断ってくれた

携帯はオフにした

まずは自分を大切にする勉強から始めなければならなかった

大切にするという意味がわからない

「本心からやりたいこと」と
「やらなければならないこと」と
「やらなければならないと思い込んでいること」

 の区別がつかなかった


少しづつ座れる時間が分単位で延びた
歩ける距離がのびてきた

15分、、、食事が最後まで座って取れるようになった頃

わたしは遊びだした

いっぱい遊んだ
思いつく限りの遊びを楽しんだ

もうひと月休職願を提出した

わたしが遊ぶと先生は喜んでくれた
同じ部屋の四人で遊びだした

毎日、毎日、笑い、泣き、また笑って暮らした

東京からきた男の子と外国からきた男の子と友達になり遊びだした

他の人のマーキングを手伝うようになり
みんなと仲良くなり

みんなで遊びだした

またひと月休職願を提出した

あっという間に三ヶ月がたち

「さあ、いつ帰ろう」と思った



外界に帰ることに不安が大きくて決断出来ずにいた


以前先生に「入院はどのくらいかかりますか?」と聞いたら

「自分で決めたらいいよ」と言われた



ある朝散歩に出たら


虹が出ていた


それで


さあ、帰ろう、と思った


その次の朝、先生に言った

「先生、虹を見ました。今月末で退院します」

それからの半月で帰る準備をしはじめた



⑥筋筋膜性疼痛症候群 石川暮らし最初の1週間

ドアを開けるとそこにあの方がいた

加茂整形外科 院長 加茂淳先生



はい~、そこに寝て
脱いで、、
ああ、なるほど
ここは痛い?ここは?
触診が続く

○○を○本、○を○で


先生は私を触診しながら優しく言う


大丈夫、良くなりますよ


力強く断言され、にこぉっと笑う先生

何箇所も注射されたように思うがあまり覚えていない

覚えているのは


先生の笑顔と「大丈夫、良くなる」の言葉



身支度してコルセットをはめようとしたら

「もういりませんよ」
「えっ!?」
「外してごらん、大丈夫だから」

わたしが泣きそうな顔でコルセットを旦那に預けると
旦那は満面の笑みで受け取る

先生も笑ってる
旦那が笑ってる

わたしもなぜだか泣き笑いになった


そのまま入院
部屋にいくと四人部屋で三人の方がいた

部屋についてベッドに横になると
安心したからか心の澱が吹き出した

「貴方のせいだ」
「貴方が悪い」
「貴方がわたしをこんなにした」
「貴方が悪い」
「貴方が悪い」

旦那に向かって吐き出した
そして泣いた

旦那は「わかった、わかった」といった



夜、食堂にいくと

同じように立ったままご飯を食べる人が二人いた

痛くて座れない人、わたしと同じだ

伝い歩きをしている人
ベッドから起き上がってこない人
首が痛くて下を向く度に顔をしかめる人
手が痛いのか、皿ごと食べる人

一様にみな社会では奇異の目で見られるだろう食べ方だ

そしてみな食事は労苦であるかのようだ



ああ、わたしはこういう病気になったんだ
と思った


眠れぬまま一夜明け
加茂整形の朝は忙しい

院長回診に備え、身体に印をつける人
(トリガー注射をして欲しい場所をマジックなどでマーキング)


身支度して、ご飯を食べ、またマーキングをチェックして待つ

旦那が石川に滞在してくれたので
その間マーキングは毎朝旦那がやってくれた



次の日の朝の先生

「抗うつ剤だすから飲む?」

へ? わたし痛いだけでウツではないのに
と思い

いいえ、と答え
抗痙攣剤だけ飲むことになった



その日の夕方

先生が病室にきて一冊の本を貸してくれた

「これね、読んでごらんなさい」

その本は ”夏樹静子 椅子がこわい”

まだ痛くて寝ているしかなくてその本を手にした

一度、二度、、 読んだ

次の日の朝、また先生が聞いた

「抗うつ剤出すけど飲みますか?」

わたしは「はい」と答え処方してもらった



1週間というか、実質5日しかベッドが空かない約束だったから

すぐにその日が来た


旦那がどうするの?と聞く
どうもこうもベッドを空けて帰るしかない


看護師長がわたしに言った

「先生にお願いしなさい、あなたずっと泣いてるじゃない、解ってる? ずっと泣いてるのよ。 自分じゃ気がついていないんじゃないの? まだ帰ったらダメ。 もっと居させて下さいってお願いしなさい。 ほら今だってそんなに泣いてるじゃないの?!」

「い、良いんですか? こんなわたしで良いんですか? 居させてもらえるんですか?」

「いいからっ! 先生に言いなさい!」


その日の朝、わたしは泣きながら先生に言ったらしい(自分では覚えていない)



そして旦那は一人で帰り

4か月にわたる石川暮らしが始まった








⑤筋筋膜性疼痛症候群 石川暮らしの最初の日

ネットでしか知らない土地、病院、先生

本当にここでいいのか
逡巡する

でも石に変わりゆく下半身と
その日の空にかかった虹が決意させた


電話をした


この頃本来なら三か月待ち
無理を言って
7日だけ入院させてもらえることになった

それでも不安はあった

この身が石川県まで行けるのか
ネット情報を鵜呑みにしていいのか
医師という人種への不信感
治らなかったらどうなるのか
治せないと言われたらどうしよう
費用はどうしよう


予約の日

旦那はレンタカー屋でバンを借りてきた

後ろを荷台のようにし布団を敷き詰め
横になって出発した

石川県まで5時間

硬いコルセットで身を包み
走る車の中で不安と痛みに泣いた

旦那がわざと明るく話しかける

泣くなよ、良くなるから
な、良くなるから
大丈夫やから

病院なかったらどうしよ

あるよ、大丈夫や

治らなかったらどうしよ

治る、大丈夫

どうしよう

大丈夫、大丈夫


あっ! あった! あれや、加茂整形や!


ほんま?
ホンマに有った?

後ろの荷台に寝ている私には見えない


車が止まり
旦那がドアを開ける

長時間のドライブで硬直した身体を旦那が引きずり出してくれた


えっ?!

ここ?


そこにどうみても「普通の小規模病院」があった

ピカピカでもなく古い病院

手術した病院とくらべてもかなり小さい



旦那に手を引かれて歩く

たった二段の階段が登れず
旦那が脚を一段づつ上げてくれた

待合室には近所の方と思われる患者さん達が談笑していて不安になる
まるで場違いな自分に後悔し始める

しばらく後

○○さ~ん、どうぞ~

緊張

手を引かれて進む



ドアを開ける


そこに

救世主がいた




〈長い物語なのでちょっと休憩〉

今日は会社の女子会である

今うちの部署には派遣のかたに来て頂いていますが


一人は休みの日はケーキ屋さんにお勤め
一人は夜は割烹料理屋さん
一人は夜はフィットネスインストラクター

以前はネイリストさんやアロマテラピストさんまでいたの。

わたしたちはその人達からプロの技を「ただ」で教えてもらえるんだよね



最近の若い人の傾向で

正社員として縛られず、パートやバイトを掛け持ちして暮らす人が多いらしい
働き方な変わってきたのを実感します。



④筋筋膜性疼痛症候群 石川行き前夜まで

メデューサに見詰められたら

身体が石になるという


その頃のわたしはまるでメデューサに見つめられ
足元から石に変わる嘆きの人のようだった

日毎夜毎
ゴツゴツとコブに覆われて堅く重くなる下半身はまさに石、岩へ化身する者のようだ


たぶん正気ではなかった



そんなある日
別居はしていたがたまにくる旦那が脚をマッサージしてくれるという

その旦那の手が太腿で止まった


なんやこれ、、、?

なんでこんなんなるまで黙ってたんや!


痛いって言うたやんか

いや、これは
こんなことになってるとは



ゴツゴツした岩の脚を触った旦那は
ようやくただ事ではない事態を認識した


解ってもらえた


それがうれしかった

医者は何度訴えても触ろうともしなかった
彼はMRI上の悪い所が見当たらない画像しか診ない

まだ痛い?おかしいな(この患者が)
注射でもする?(気休めにはなるかな)



そして理学療法士は泣きそうな顔で言った

わたしではもう無理です
このこわばりは治せないです





その頃ようやく
ヘルニアでネット検索して
同じ手術をしても治らない人の記事にたどり着いていた

梨状筋症候群
仙腸関節炎



しかしまだ少し違う

後から旦那に聞いたが
携帯を握りしめ血走った目で検索していたらしい



そして
そして

ようやくわたしは見つけた!



筋筋膜性疼痛症候群

あるいは

線維筋痛症



これだ

間違いない

症状が一致する


それから数日後

ついにあのお名前に辿り着く


石川県 加茂整形外科 加茂淳先生


トリガーポイント治療




ここに行きたい




手術から二ヶ月半がたっていた




長い長い夜が明けた






プロフィール

リセット

Author:リセット
2013年 7月からの新米乳がん患者。

2013.07 告知
2013.08 休職
2013.08 右乳房全摘
2013.09 抗がん剤治療(TC4回)
2013.12 フェマーラ開始
2014.02 職場復帰
2014.07 リンパ浮腫完治を目指しLVAを受ける。
東京大学医学部附属病院にて

それまでの諸々

2011年 椎間板ヘルニア手術から寝たきりに
筋筋膜性疼痛症候群で
加茂整形外科に4ヶ月入院。救われる

2000.07 異型狭心症で終身服薬の身の上に

1995.00 胆石で度々発作で腹腔鏡で胆嚢摘出


たくさんの方に支えられなんとか生きる道模索中

旦那大好き

料理は全く出来ません。掃除も上手くない。
洗濯が好きっ。

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